ビートたけし、明石家さんまと並んでお笑いBIG3といわれるタモリ。
彼が司会の番組は長寿のものが多く、『笑っていいとも』は32年続き、今も続いている『タモリ倶楽部』は34年、『ミュージックステーション』は30年を迎えています。
まもなく72歳を迎える大御所ですが、芸能界に入ったのは30歳と遅めでした。どのような人生なのでしょうか。
| 20歳 | 学費未納のため大学を抹籍処分 |
| : | 地元福岡で保険外交員などをして働く |
| 27歳 | ジャズピアニストの山下洋輔と出会い、即興芸を披露し大いに笑わせる |
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喫茶店のマスターとして働く |
| 29歳 |
「森田を呼ぶ会」が山下らにより結成され、彼らのカンパにより月1ペースで上京 |
| 30歳 |
『マンガ大行進 赤塚不二夫ショー』にてTV初出演 |
| : | いわゆる「密室芸」といわれる分野を確立し、様々な番組に出演 |
| 37歳 | 『笑っていいとも』、『タモリ倶楽部』スタート |
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27歳のときに出会った山下洋輔に見いだされてのが芸能界入りへとつながっていったんですね。そのときの話はwikipedia等が詳しいので割愛しますが、もしタモリが山下らが泊まっていたホテルの部屋に乱入しなければ、今はなかったかもしれません。
また、そのつながりで知りあった赤塚不二夫がいなければ、『笑っていいとも』も『タモリ倶楽部』もなかったかもしれません。
2008年の赤塚氏告別式の際にタモリが読み上げた弔辞は「私もあなたの数多くの作品の一つです」で結ばれ、2人の関係を非常に素晴らしく感じました。
この記事を書いていて、やはり「運」は人によってもたらされるものだと強く思いました。